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更新日:2019年3月28日

記者会見 平成31年(2019年)3月18日

泉市長再選会見 

広報課長

泉市長の会見を始めさせていただきます。本日は自由に質疑をしていただく形をとりたいと思いますが、質問のある方は、挙手していただき社名とお名前をいただいてから、質問をしていただくようお願いします。

記者

今回選挙で大差をつけて当選された形になりますが、改めてこの暴言の問題をどう受け止めていらっしゃいますか。

市長

1月29日の謝罪会見の際に申し上げた通り、いかなる動機であれ、私のとった態度は許されないものであり、それはそれ以降も変わっていないですし、むしろ時間の経過とともに自分のしたことの罪深さを改めて感じているという認識です。

記者

選挙で5万票以上の差をつけて通ったとしても、その気持ちは変わらないですか。

市長

それは全く選挙とは関係はなく、市長として許されないにとどまらず、人として他人様に、ああいう発言や態度をとることそのものが許されないことでありますので、選挙とは関係なく許されないと思っています。

記者

こうして市長として市役所に戻られた形になりますが、辞職されたとき、リーダーとしての資質に欠けているとおっしゃっていました。今改めて市長として戻られて、このリーダーの資質についてどのようにとらえられていますか。

市長

2月1日の辞職会見の際、1月29日の会見の後、自らの処分をどうするかというテーマでしたので、自分なりに一生懸命考えて、自らに下す処分は自らにこそ厳しい処分をということと、当時の状況、市役所の電話が鳴りやまない状況で、市民生活に影響を及ぼすべきではないという観点から、辞職をもって他に選択肢はないという結論に至りました。その際に自分自身の欠点として、苦手分野を後回しにしてきたことと、感情のコントロールの問題の2つを自分なりには整理し、これは自分の大きな問題だと改めて認識し詳細にお伝えしたいし、それ以降、苦手分野については、急に勉強したからといってそれが得意分野になるわけではなく、この間の1か月少しの間に、自分自身が苦手であることを率直に、職員に分からないことは分からないと伝えて、職員から学ぶ姿勢が大事だと自分では今思っています。もう1つの感情面については、辞職会見の後、専門機関の方の力も借り、個別の先生にもついていただいて、日々日記をつけたりしながら、向き合っている状況であり、そういった中で急に人間が一気に変わるわけではありませんが、自分の中でも変化を感じておりますので、そういう意味では努力を重ねていきたいと思っています。そういう認識です。

記者

自分自身の変化を感じているとおっしゃいましたが、具体的にはどういう部分に変化を感じられているのか教えていただけますか。

市長

例えば、これまで私も選挙は今回で5回目になりますが、これまでは、立候補を自分で決断すれば、周りの仲間が力を貸してくれる中で、立候補届が提出され、500何十か所ある掲示板に朝早く、9時、10時くらいにはポスターをすべて貼り終えられるような形で正直思っておりました。今回改めてポスターを作る段階から、間に合わない状況の中で、人に頼む時間もなく、実質的にはポスターを1枚貼るのも押しピンをそれぞれごとに用意したり、地図をコピーしたり、大変な作業と労力があるわけであって、ある意味、それまでは立候補すれば、第一声を言って車に乗り込んで、大声を張り上げれば、次々とポスターが貼られていっている状況を、あたかも当然であるかのように思ってしまっていた自分がいました。そうではなくポスターを1枚1枚貼ることも本当に大変なことであり、そういう意味で本当に改めて、一緒に選挙を担っていただいているスタッフに、本当に有難いなというふうに改めて思いましたし、その3日後の火曜日の朝のことですが、西明石駅の北口ロータリーのところで、朝6時からいわゆる駅立ちをする予定にしておりました。その時、手違いがありまして、のぼりとか、緑色のジャンバーがなくて、何もない状況でした。その時にこれまでの自分であれば、それこそイラっとして、「いったい何をしていたんだ」「準備をしていなかったのか」というふうに思ったと思います。でも今回その時、何もないということを聞いたときに、自分でも本当にイラっとせずに、のぼりやジャンバーが揃っていなくても、まさに今一緒に、朝6時から集まってくれる仲間がいると、それで本当に充分だなと、自分ではそう思いました。ただ周りは私のこれまでの事を知っておりますので、これは大変だという形で、朝6時からバタバタとのぼりとかさまざまなものを探し回って来ていただいたわけですが、それが6時40分くらいですが、着くときには、そこまで無理しなくても大丈夫だと自分の中で思ったのは、自分の変化だと思います。同じくそれと同じ日ですが、朝7時くらいになって、同じ場所に共産党の候補の方が来られまして、共産党もそこで予定していたので、場所を横同士でやりましょうかと言われたんですが、私は即答で「どうぞお譲りします、どうぞお使いください。こちらの方が別の場所に移します」と言うと、非常に驚かれました。これまでの私ですと、自分たちが先にこの場所にいるのだから、後から来た者に譲るなんて発想は正直持ってこなかった人間でしたので、今回譲るというか、どうぞという気持ちになれたのも、自分の中での変化だと思っています。

記者

職員から苦手分野を学ぶとか、教えを乞うというお話をされましたが、任期は4月までですが、早速取り掛かるというお考えですか。

市長

取り掛かるというか、自分のスタンス、気持ち、抱えている問題にかかると思いますが、率直に言うと、自分の場合、正直プライドというか得意分野に対して強い問題意識を持ち、ぐいぐいやるようなタイプですが、苦手分野が苦手であるが故に、ある意味謙虚さに欠けていた面が大変ありました。分からない分野だからこそ、しっかり勉強もし、教えを乞うというか、職員から学ぶ姿勢が自分に欠けていたと今思っていますので、早速、自分の苦手な分野についてはしっかり勉強したいですし、分からないことは職員に、分からないので教えてほしいとお願いしようと思っています。

記者

苦手と認識されているのはどういった分野ですか。

市長

それこそ道路行政とか、建築、ハード整備系は正直得意ではないです。弁護士をしていた頃も、子ども、障害者、消費者被害防止といったテーマは取り組んでいましたが、建築基準法違反とかそういったテーマは、どちらかというと他の弁護士にお願いして、自分で関わるということは出来ませんでしたので、正直苦手です。

記者

辞職のタイミングについて、改めてお聞きしたいんですが、市政の混乱を収束するようにという形で辞職会見があったと思います。一方で当初予算案提出前でもあって、議会で説明責任を果たすべきという意見もあったと思います。辞職会見を開いた2月1日に関しては、批判的な意見と、擁護論が同数もしくは擁護論が上回る状態だったと認識しているんですが、人によっては都合の良い形で辞職したとの見方もあります。費用も多くかかりました、改めて市長という立場に返り咲いた立場で、総括していただけますか。

市長

改めて振り返りますと、1月29日に大きな報道となったわけですが、少し前にいくつかの記者さんから話を聞きたいという話がありましたので、何事か発生するのかと思っておりました。私自身はあの時点では事の全体像を把握できていたわけではなく、1月29日の時点では、直前に1分程度のテープを聞いただけでした。ただそれが自分の声であり、自分であることは間違いありませんでしたので、率直にすべて自分であると認めた上で、かつ自分の喋っている声をテープで聞くのは初めてでしたので、自分自身の態度を改めて聞いて、非常に高圧的であると認識して、いずれにしても自分に処分を科すべきだと思いました。それ以前に私自身が市長として、処分権者として、停職6月という処分をすでにしておりましたので、自分に対してそれより甘い処分をすることはできないと思い、そういう意味では、もう1月29日の夜くらいには辞めるしかないだろうなとは思っていました。そうはいっても、そうすぐに辞めるのはまずいとは思いましたので、どうしたものかと夜を過ごし、翌日30日は、市長室に出てきて籠る形で状況の推移を見守っていましたが、電話が鳴り止まないという報告もあり、30日の時点では「早く辞めろ」という声が多かったと私は認識しています。1月29日の電話の内容を30日に受けたと思いますので、そういう意味では厳しい状況は認識しました。30日の夜に、妻から「早く辞めるべきだ」と言われましたし、ただ辞めるというのは大きなことですので、一定相談もすべきだという中で、31日を迎え、31日の時点で一定の人に相談する中で、引き止められましたけど、その時点でも市役所の電話はずっと鳴っている状況でした。後になってその内容について言われますが、当時の認識としては、すごい数の電話が鳴り続けていて、市長室のみならず、さまざまな電話がうまってしまっていて、早く何とかしないといけないという思いは強くありました。あとは、一般に擁護論と言われますが、あれは擁護論ではなくて職員に対するバッシングも多かったと思います。それについても私としては、自分の発言の一部から、明石市の職員があたかも仕事をしていなかったような誤解が生じてしまったことも責任を感じており、そうではなくて、市の職員はしっかり仕事をしてきたのであって、責任は私一人にあるのであり、いわゆる部下の責任にするつもりもありませんでしたので、一刻も早く平穏な市民生活を取り戻すために、市役所の電話が鳴り止むようにするために、辞めるべきだということから、土日を挟まず金曜日の朝に辞職したというのが率直なところです。

結果的にそれがどうかと言われれば、もちろんさまざまなご批判があることはごもっともですが、それも含めて受け止めるべきだと思っています。

記者

今日、再選後初めて職員の方と話をされたと思いますが、謝罪をして話をされる中で、職員の方の反応や、かけられた言葉とかどういったものがありましたか。

市長

今日午前10時に当選証書をいただき、基本的に自分の元いた市長室の部屋で、周りのものと話す程度でありますので、そう多くの職員とまだ話をしている段階ではありません。ただ、先ほど午後1時から改めて職員に話をさせていただく機会を得て、正直申し訳なかったという思いが今は強いです。その時に申し上げましたが、やはり今回のテープの一件だけではなくて、職員に対する態度、対応、言葉使いというものが、非常に自分としては申し訳なかったと思っています。

記者

これから職員に対して、どう声をかけていきたいですか。

市長

声といいますか、自分の気持ちとしては、先ほども職員の前でお話させていただきましたが、一緒にやっていこうという思いです。市長になる前は、弁護士という立場で、さまざまに行政と向き合う機会も多く、ある意味緊張関係があるようなことも多かったものですから、そういう意味で自分の中で、職員に対して自分で壁を作っていた面もあったかなと思います。今回を受けて、仲間として一緒に、まちづくりをしていきたいと今はそう思っています。

記者

辞職のタイミングの話がありましたが、あのタイミングで辞めると選挙が4月にもあり、2回実施されるということが分かっていることで、もうちょっと辞めるのを待とうとか、その辺は考えなかったんでしょうか。

市長

1月29日の謝罪会見の時は、私としては4月の統一地方選挙で市民の判断を仰ぐとの認識でした。ただ、自分自身を処分しなければいけない立場であること、あとは1月29日の夜も、それこそ大きな全国のトップニュースで流れる中で、電話が鳴り止まない状況でしたので、率直に言いますと、1月29日の謝罪会見の時点では4月でと思っていましたが、その夜に全国のトップニュースになり、電話が鳴り止まない状況となり、もう1つは自分に処分をする以上、自分に甘い処分はできないという思いの中での2月1日です。

記者

今回1回余分に選挙があって、大きなお金がかかるという認識はなかったんですか。

市長

そこも含めて、どの選択をしたとしても何かに迷惑をかけてしまうという状況の中で、どうするかという認識でしたので、任期途中で辞職するということは、2期目の選挙で選んでいただいた市民の皆さんに対して、4年の任期を全うしないことになりますから、途中で辞めることそのものが、有権者への裏切りになると私は強く思っていました。また、議会も迫っていましたし、新年度予算も組んでいましたので、予算まではしっかりとやらないといけないという思いもありました。いろんな観点から考えましたが、結局最終的には自分に処分をする以上、辞職以外に選択肢はないという結論と、一刻も早く辞職しないと電話が鳴り止まないというふうには思いました。特に、木曜日あたりからワイドショーも大きく取り上げていましたし、当時の私の認識では、辞めないことには収まらないと思いましたので、その時の自分としては、一刻も早く辞めることがその時の市長の身である私の仕事というか、責任だという形を優先しました。

記者

拡幅工事を巡る事実関係の検証についてお聞きします。事業の開始直前には、交差点で女性が巻き込まれる死亡事故、激高の原因となる死亡事故があっただろうという話だったと思いますが、取材をするとそういう事故はなくて、3月7日の再出馬の会見では、事実関係が1月29日の謝罪会見後、確認できる時間がなくて詳細は分からないという回答だったと思います。市長に戻られて、あれは結局思い込みによる恫喝だったのか、担当職員の怠慢だったのか、自分の頭で思っていたことと事実関係のチェックというところの検証をすべきだと思いますが、その辺りいかがでしょうか。

市長

その通りで、すべきだと当然思っています。今回の件については、私自身がまさに苦手分野で、道路行政について正直に言いますと、資料をもらっても詳細まで自分自身が理解できる力もありませんでしたので、基本的には任せきりにしていた面が正直です。そうでありながら、市長でありますので、いろんな市民の方からも「あそこはどうなっている」というような声もいただく中で、私としての認識としては、H27年に死亡事故が発生し、あの角に亡くなった方の関係する花束が置かれていたという認識を持っており、人が亡くなっている危ない交差点だと、一刻も早く安全にしなければという認識を持っていました。それが何月何日とか、事業の計画が死亡事故によってスタートしたのかというところまでは認識していなくて、人が死ぬような危ない交差点なんだから、一刻も早くしなければならないというのが私の認識でした。おそらくあれは、私が市長になる前からの事業計画だと思いますので、私の認識としてはあそこの工事が、私の市長就任前から進んでいる、私が2期目の選挙の直後くらいに人が亡くなっている危ない交差点だと、いつ終わるかということについての私の認識は、再開発の計画と同時だと認識しておりましたので、再開発が完成してから半年が過ぎても、建物が残っている状況でしたので、私の認識では遅いという中であのような状況になったわけであって、それは私自身が進捗管理であるとか、事業についての詳細を把握していなかったことが原因でしたので、2月1日の辞職会見でもお話しましたが、責任はひとえに私にあると思っております。

記者

暴言問題があって、今回の選挙戦でまちに出てから、自分の知名度が上がったと認識することはありましたか。

市長

ご質問の主旨がうまく把握できていないかもしれませんが、私自身は2月1日の辞職会見まではかなり気が張っていましたが、さすがにしんどくて、部屋に籠るような生活をしていて、本当にまちに出たのは、3月10日の立候補届を出して初めてまち中に出ました。そういう意味では、小さな子どもたちが私の顔を見て、見たことがあるかのような反応をしていましたので、本当に大きなニュースとして知られてしまったんだと改めて思っていました。知名度とかいうことではなくて、私的にはそんな意味ではなくて、本当に大きなことになったんだと再認識したイメージです。

記者

ある意味、選挙に興味がなかった若い人たちも、報道を見て、泉市長のお顔を知って、今回投票行動につながった面もあると思いますが、若い人の反応はどうでしたか。

市長

私も今回選挙は5回目になります。そういった中で、これまでは小さなお子様連れのお母さん、お父さん方は、選挙のときにあまり反応がなく、年配の方に声をかけていただいたりしたことはよくありましたけど、小さなお子様連れの方、それこそベビーカーを押すような方は、振り返ることもありませんでした。今回はお子様連れの方に多くお声がけいただきましたので、これまでとは全く違うなと思いました。

記者

今回、特定の政党から支持を受けたわけではありませんが、ご自身を支持してくれた方、どういう層に支持されたと思いますか。

市長

昨日の今日ですので、分析できる何かを持ち合わせているわけではありませんが、実感として改めて強く思ったのは、本当に多くの方に声をかけていただいたんですが、響いてくるのは、生活にリアリティのある方々の言葉です。例えば、ひとり親家庭の親子が近づいて来られて、「何とか続けてください」とか、子どもさんと手をつないだ親御さんが、妊娠しているお腹を示されて、「この中にもう1人子どもがいますので、頑張ってください」など、すごくリアリティというか、生活に根付いた声を感じました。小さなお子様で、私にプレゼントというか、緑色の折り紙とかいろんな物をいただいたお子さんがおられましたが、お母さんの方から「障害があって苦労しているので、もう1回市長に戻って、こういったテーマをよろしくお願いします」というような声をかけられると、改めてこういった形で辞職になるようなことをしていてはだめだと、ちゃんと引き続きしっかりと仕事を続けないといけない立場だったと反省し、申し訳ないという気持ちになりました。

記者

1か月半近く市長不在の中、市が通常ではなかったわけですが、戻って来られてこれから数日間で、まず何に取り組みたいと思っておられますか。

市長

昨日選挙が終わって、今日ですので、まずは両副市長をはじめ、これからどうしたらいいのかという相談から始めるのかなと思います。1か月少しの市長不在の期間に、しなければならなかったことで、急ぐことがあればそれを急ぎでやらなければならないという認識です。今日登庁してきて、今まだ何かできているわけではありませんので、具体的にはまだ整理ができていません。

記者

来月また市長選という運びになりましたが、改めて4月の選挙に望む気持ちをお聞かせいただけますか。

市長

望む気持ちという言葉は難しいですが、今回自分自身が辞職したことに伴う選挙に出るときの決断は、これからも明石のまちに責任を持っていきたいという思いでの決断ですので、そういう意味では今回、今の私の立場は4月末までの任期にすぎませんので、来る4月の統一地方選挙で、改めて市民の判断を仰いで、その後4年間しっかりと責任を果たす立場を担わせていただきたいという思いです。

記者

3月7日にインターネットに掲載されたフリーライターさんの取材に答えた記事の中に、新たな暴言ではないかということで触れられています。具体的には、再開発ビルの業者に「お前らなんかいらんのや」とか、給食センターの産廃に対して「埋めてまえ」などと言った記憶があると取材で答えられています。以前会見の中で、「暴言については意味がなく、他のことは覚えていない」と言われたと把握していますが、そのこととの整合性はどう考えればよいでしょうか。

市長

今回の件で、さまざまな方がインターネットで発信されているとは聞いています。ただ実際私自身が、どの方についても事前に原稿をチェックしたようなことは全くなく、一定の電話だったり、少しお会いしてお話する機会があったことで書かれているんだと思います。今のご質問に関しては、私自身に明確な記憶はありません。その方に私が話をしたのは、今回大きく報道されたこと以外にも、再開発絡みとか、給食センター絡みで次のテープを出すと言っている方が何人もおられて、そういう話がありますということをその方にお伝えしたという認識です。その方がそれを聞かれて、原稿にされたと認識していますが、それはちょっと分かりません。私がその方の原稿をチェックしたわけでもなく、その方が明石に来られたわけでもありませんので、校正されて原稿にされたものだと認識しています。

記者

整理すると、給食とか再開発ビルとかが出てきたのは、辞職後に人伝てに聞いた話として認識したということでよろしいですか。

市長

そうです。ですから1月29日の謝罪会見直後あたりから、他にも私のその類のものを入手している者がいて、それが第2弾、第3弾でマスコミに送るということは、多くの者から聞かされておりました。その内容が給食センターのゴミの問題であったり、再開発ビルを巡っての内容の入れ替えの問題だということは聞かされていましたので、私の聞かされた話をそのフリーライターの方にお伝えしたという認識です。ですから、私に分かる記憶があるわけではありません。

記者

この記事に関しては、確か3月7日の夜10時くらいにアップされたと記憶しております。当日は何があった日かというと、支援者の方々に午後7時頃から話をされて、我々報道陣に会見をしていただいたと思うんですが、その記者会見が終わったまさに1時間後なんですね。ということは、記者会見以前にそのインタビューにお答えになったということになります。なぜ特定メディアにそこまで詳細な発言をされたのかということに疑問があるんですが、それはどういった経緯だったんでしょうか。

市長

私自身、辞職の後に2冊本を出版しました。まさに1月29日が最終校了の本もあり、もう1冊の本もありまして、出版するかどうかを巡り、また出版社のみならず、対談いただいた方々も含めて非常にご迷惑をかけた立場であり、お詫びをしないといけないと思っておりました。3月1日に上京し、出版関係の方にお詫びをしました。私の2冊の本に関わっていただいた方が、今ご指摘の方と面識があったようで、その方もおられました。そこで初めてその方とお会いし、今お伝えしたような、自分が聞いている話とか、やりとりをしたということです。それをまとめられて、アップされたんだと思います。私自身は、内容も原稿もチェックしておりませんので、正直詳細は分かりません、という経緯です。

記者

今日1か月半ぶりに再登庁されて、いろんな職員の方のお顔を見られたと思いますが、戻って来て市役所の印象というか、市長から見て職員はどういう雰囲気だったと思いますか。

市長

そうですね、気持ちとしては個々の職員にお詫びし、これからも明石のまちづくりを一緒にやってください、とお願いしたい、気持ちとしてはそういう気持ちです。

記者

職員に訓示をされましたが、自分が話をしたことが伝わったと思いますか。

市長

そこは言葉だけではなくて、自分自身が態度でしっかりと対応していくことでしか信頼関係は生まれないと思います。一定短い時間の訓示で大きく変わるものではなくて、今後職員と対応するときの態度を職員も見て言われると思いますので、自分自身のこれからの態度次第というか、そのことによって職員との信頼関係が作れるように頑張っていきたいという思いです。

記者

一番大事な当初予算の編成のときに辞職されました。訓示にもありましたが、議会も市民の代表者であると、そういう非常に大事にされているのに説明がまだなされていないということですが、議会開会中に議会にはどういうふうに説明しようと思われますか。

市長

市長として市民の代表である議会に対して、説明責任を果たすべきだと当然思っています。どのように果たすかは、今日登庁したばかりで、議会とどういう対応が可能か確認しないと、この場でこうしますと言える情報は持ち合わせていません。

記者

お気持ちとしては、ちゃんと自分の言葉できちんと説明したいと思いますか?

市長

それは当然のことであり、まさに今回の件はひとえに自分の責任ですし、そのことにより今回の選挙の実施となり、費用、労力の面、市長不在の中で3月議会にこの間ご迷惑をおかけしたので、当然説明すべきだと思っています。

記者

今回の選挙で圧倒的な支持を得たわけですが、ご自身が考える勝因はあったりしますか。

市長

勝因というような、いわゆる「勝」という字が浮かぶような状況ではなくて、自分の一件がなければ、通常通り3月議会が行われ、まちづくりが進んでいたわけですから、勝った負けたではなくて、私としては申し訳ないという立場ですので、そこはそれ以上分からないです。ただ、自分としては改めてもう1回頑張ろうと思って立候補した身ですので、しっかりやっていきたいという思いです。

記者

4月に立候補することを表明されていますが、これまでに話されていた公約的な内容、この選挙と次の選挙で変化はあるのか、また次の選挙でどういうことを訴えていきたいか教えてください。

市長

大きなところの方向性は、昨日今日でなく、遠い昔からの思いがあり、大きくは変わりません。「やさしい社会」というか、子どもも高齢者も、障害をお持ちのご本人や家族にも、すべての市民にやさしいまちを作りたい、お金持ちのまちとか大きなまちではなく、困っている人がいるときに、それを気づかないふりをするまちではなく、単に困っている人がいるというまちでもなく、自然に手を差し伸べ合えるようなまちを作りたいというのが、私の強い思いです。私も明石の西の漁師のせがれですので、明石は東だけ、駅前だけが良くなればいいとは思っていませんので、それぞれの明石をもっとしっかりと大事にしていきたいと、そのベースは変わりません。今回の選挙を通じての気づきもかなり多くあって、改めて例えば子育て世代というのが生活実感として大変で、そういった中で明石を選んで引っ越された方から随分お声掛けいただきましたし、2人目3人目を産まれた方、産もうとされている方からの切実な声もいただきましたし、発達障害のお子さんを抱えた親御さんが強い思いを訴えてこられたりする中で、本当にそういった個々の市民の、強い政治というか行政というか、自治体に対する期待というものに、もっとしっかりと応えていかないといけないと、改めて強く思いました。強い期待感を感じた選挙でした。

記者

今回2期目の退職金を市から支払われていますが、市長自身は退職金の金額の妥当性とか、制度があることについてどのように考えていらっしゃいますか。

市長

私としては、辞職の段階では本当にどうするかが精一杯で、2月1日の辞職会見のときに、退職金のことは頭にない状況で、そこを何か考えたわけではありません。一刻も早く、辞めないとというのと、辞職以外ないという形でした。2月1日で市役所を離れましたので、今日まで市役所の情報を持ち合わせていませんので、市役所と密に連絡を取れる状況になく、情報を得れる状況にもなく、道路行政の詳細も把握できていませんので、ということです。

記者

まちの声として、市長不在の状況にして、選挙が2回行われるという状況になって、退職金をもらうのはおかしいとか、返納すべきという声もあったんですが、その辺どうお考えですか。

市長

今のようなご意見が出るのは当然だと思います。ただ、私自身退職金云々について、何か考えて辞職したわけではなく、あの時点では、辞職するしかないという思いでした。それ以降も、今のご質問のテーマについて、何か情報を持ち合わせて検討したことはありませんので、これから何ができるか、できないかを含めて考えたいと思います。

市長

1月29日の謝罪会見以降、皆さまには、私もかつてメディアにおりましたので、できるだけ誠実にという思いはありましたが、正直自分自身の精神状態や、家族の状況などもあり、この間失礼な対応があったかと思います。そのことも含め、お詫び申し上げたいと思います。これから質問があれば、精一杯、誠実にお答えしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

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