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更新日:2019年1月1日

明石の歴史を写真で振り返る

明石市が誕生してからの100年の歴史を写真とともに振り返ります。

 1919年(大正8年) 明石市が誕生

明石市誕生  祝賀アーチ

1919年(大正8年)11月1日、全国で81番目、兵庫県内では4番目の市として、明石市が誕生しました。当時の市域は明石川より東側、人口は3万2000人余りでした。
市制を祝い、11月25日から5日間にわたり祝賀行事が行われ、提灯行列や相撲大会、花火、イルミネーションなど、市を挙げて盛大に行われました。
明治末期から、当時の明石町は市制に向けた動きをしていました。市になるためには、いくつかの条件が必要でしたが、当時教育面では中学校も女学校もなく、環境面では上水道がないなど、条件を満たしていなかったため、市制を認められませんでした。しかし、その後の人口増加や経済面・産業面での発達などにより、市として十分な力を持っており、市制された他のまちと比べても遜色ないことが認められ、8年の歳月を経て、念願が叶って1919年に明石市となりました。市制の際には、いくつかのまちが合併して市になるケースがほとんどですが、明石市の場合は単独の町が市になるという稀なケースでした。

 

 1933年(昭和8年) 明石-中京、延長25回の激闘

明石対中京

1933年(昭和8年)8月19日、全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園)の準決勝で、明石中学が中京商業と対戦し、歴史に語り継がれる延長25回の激闘の末、0-1で惜しくも敗れました。
この延長25回の試合というのは、春・夏の甲子園や都道府県予選なども含めて、これまでの歴史の中で最も長い試合となっています。

 

 1942年(昭和17年) 明石市が明石郡林崎村と合併

林崎村合併

1942年(昭和17年)2月、明石市は林崎村(明石川西側~西明石)と合併しました。人口は6万8千人を超えました。
1919年(大正8年)に市となった明石市は、大正の終わりごろから、隣接する町村と合併し、市勢の発展を目指す動きがありましたが、合併交渉はなかなか進みませんでした。その後、日本が戦争ムードになりつつあった1940年ごろから、川崎航空機明石工場が林崎村に開設されるなど、林崎村は工業地として急速に発展したことで、明石市と林崎村の双方にとって合併の後押しとなり、1942年2月11日、合併に至りました。人口は6万8千人を超えました。
合併前から明石市と林崎村は、特に生活面において密接な関係にあり、また戦時中だったことから防災面や配給などの整備の必要性もあったために、合併交渉は進みました。

 

 1951年(昭和26年) 明石市が明石郡大久保町・魚住村、加古郡二見町と合併

三町村合併

1951年(昭和26年)1月、明石市は明石郡大久保町・魚住村、加古郡二見町と合併しました。この合併により、ほぼ現在の明石市の市域となり、人口は11万人を超えました。これは、合併調印式の時の写真です。
これ以前の昭和21年、神戸市から明石市、大久保町、魚住村、二見町を含む周辺市町村に対し、合併の申し入れがありました。その際、大久保町、魚住村、二見町を含め多くの周辺町村からは反対が出ませんでしたが、明石市は戦災復興が先決であり時期尚早であるとの判断から合併を見合わせる申し入れをしました。兵庫県知事は、周辺地域は神戸市との合併を認めましたが、大久保町、魚住村、二見町については明石市と切り離して神戸市に編入するのは地形上不自然であり、明石市が孤立状態になる恐れもあることから、合併区域からは除外されました。
その後、1949年(昭和24年)に明石市から3町村に対して、正式に合併の申し入れを行いました。市民の間でも早期合併を望む声が大きく、明石市全体が3町村との合併を支持していました。1950年(昭和25年)、3町村の各議会で満場一致で合併賛成の議決となったことから、1951年(昭和26年)1月10日、合併に至りました。

 

 1955年(昭和30年) 神戸市との合併について住民投票を実施

住民投票

ひとつ上の項目(1951年(昭和26年) 明石市が明石郡大久保町・魚住村、加古郡二見町と合併)のとおり、明石市は戦後間もないころに神戸市からの合併を拒否し、3町村と合併しましたが、1954年(昭和29年)5月、再度神戸市から明石市に対して、合併の申し入れがありました。神戸市は、明石市の観光資源や工業・住宅用地に注目していたようです。明石市議会では合併賛成と反対が二分されており、市民の間では合併反対派が上回っていました。市議会において、「合併は本来議決によって決めるものであるが、これは重大な問題であり、住民投票を行うべきではないか」という旨の提案があり、採決が行われた結果、18-17という僅差で住民投票実施賛成が上回り、住民投票が行われることとなりました。
1955年(昭和30年)1月23日、神戸市との合併の是非を問う住民投票が行われ、賛成が10,727票、反対が33,498票と反対が大きく上回り、合併は回避されました。

 

 1960年(昭和35年) 天文科学館が開館

天文科学館開館

1957年(昭和32年)の国際地球観測年(64か国が共同して地球物理学現象の観測を組織的に強化した期間)を記念し、日本標準時子午線上に市立天文科学館を建設する計画が構想され、1960年(昭和35年)の時の記念日の6月10日、天文科学館が開館しました。館内には、東ドイツのカール・ツァイス・イエナ社製のプラネタリウムによる解説付きの星空の投影をはじめ、時計や暦、天体観測、宇宙開発等に関する資料が展示されてきました。
開館当時から動き続けているプラネタリウムは、稼働期間日本一、長寿日本一のプラネタリウムとして活躍を続けるなど、天文科学館は現在でも時のまち明石のシンボルとして、皆さんに親しまれています。

 

 1968年(昭和43年) バレホ市と姉妹都市、1981年(昭和56年) 無錫市と友好都市に

姉妹都市

1968年(昭和43年)12月9日、明石市はバレホ市と姉妹都市提携を結びました。バレホ市は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州の西海岸に位置した、人口約12万人、面積約96平方キロメートルの都市です。
1981年(昭和56年)8月29日、明石市は無錫市と友好都市提携を結びました。無錫市は、中華人民共和国の上海市と南京市のほぼ中間に位置した、常住人口約643万人(戸籍人口約468万人)、面積約4788平方キロメートルの都市です。上の写真は、明石市・無錫市友好都市提携調印式の写真です。
明石市と姉妹都市・バレホ市、友好都市・無錫市とは、文化・スポーツ・教育などさまざまな分野で活発な交流が行われています。
 ※バレホ市・無錫市との交流についてはこちら

 

 1980年(昭和55年) 明姫幹線が全線で開通

明姫幹線全線開通

 1976年(昭和51年)の西明石駅北側~藤江、1977年(昭和52年)の藤江~大久保町江井島の4車線での部分開通を経て、1980年(昭和55年)9月12日、大久保町江井島~二見町西二見が2車線で暫定的な供用開始となり、明姫幹線が全線で開通しました。
当初、明姫幹線の工事は、1967年(昭和42年)から5か年計画で進められる予定でしたが、大阪万博の開催など周辺情勢により工期が大幅に遅れることとなり、着工から全線開通まで13年かかりました。
全線開通後、2車線部分の4車線化を要望する声があがり、1989年(平成元年)10月20日、全線4車線化が完了しました。

 

 1995年(平成7年) 兵庫県南部地震が発生

 兵庫県南部地震

1995年(平成7年)1月17日、淡路島北部を震源とするマグニチュード7.2を記録した兵庫県南部地震が発生しました。
明石市でも、人的被害としては死者26人、負傷者1,884人、建物被害としては全壊2,941棟、半壊6,673棟、一部損壊21,370棟にのぼりました。
その他、明石城の石垣が崩れたほか(左写真)、天文科学館でも大きな被害を受け3年2か月にわたり長期の休館を余儀なくされるなど、明石市にも大きな爪痕を残しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2006年(平成18年) のじぎく兵庫国体を開催

国体

2006年(平成18年)、兵庫県で昭和1956年(昭和31年)以来50年ぶりとなる、第61回のじぎく兵庫国体が開催されました。
のじぎく兵庫国体は、兵庫県南部地震から新しく生まれ変わった兵庫の姿を全国に披露するとともに、全国から寄せられた温かい支援に対する感謝の意を表する機会として、新たな出会いと交流の場となることを願い開催されました。現在も兵庫県のキャラクターとして親しまれている「はばタン」は、兵庫国体のマスコットキャラクターとして誕生したものです。
明石市では、バレーボール(成年男子9人制=明石中央体育会館、写真)、自転車(ロードレース=明姫幹線、トラックレース=明石公園自転車競技場)、ウエイトリフティング(成年男子=産業交流センター、少年男子=明石城西高校)の3競技が行われました。

 

 2012年(平成24年) 明石市営バス、61年の歴史に幕

市バス終了

明石市が大久保町、魚住村、二見町と合併したのと同年の1951年(昭和26年)に運行を開始した明石市営バスは、2012年(平成24年)3月16日、61年間にわたる運行を終了しました。
乗合バス16台、貸切バス2台で運行を開始した明石市営バスは、まちの発展とともに規模を拡大し、乗合事業では昭和48年のピーク時には乗客数が年間1,455万人を超え、貸切事業では日帰りツアーを主催するなど、市民の皆さんにとって身近な交通手段として親しまれました。しかし、その後はマイカー等の普及による移動手段の多様化が進み、バス事業を取り巻く環境は厳しさを増しました。そうしたなか、より効率的な輸送サービスと利便性の向上を図るため、市営バスの運行を終了し、現在は神姫バスと山陽バスが引き継いで運行を続けています。
市営バスの運行最終日、明石駅では明舞団地方面行きの最終便の運転手に乗客から花束が贈呈され、各路線の最終便には市営バスの運行終了を残念がる乗客やファンなど大勢の方々が乗車されました。

 

 2017年(平成29年) 明石駅前再開発ビルに「あかし市民図書館」「あかしこども広場」「あかし総合窓口」がオープン

再開発ビル2 再開発ビル1

2017年(平成29年)1月27日、明石駅前再開発ビルに「あかし市民図書館」「あかしこども広場」「あかし総合窓口」がオープンしました。
あかし市民図書館は、従来明石公園内にあった市立図書館を明石駅前に移転し、本の数が2倍、座席数が3倍、広さが4倍となり、施設面でも大幅にグレードアップしたほか、平日は夜9時まで開館するなど、サービス面でも充実を図りました。
あかしこども広場は、妊婦・乳幼児健診などを行う「こども健康センター」や、こども図書室を併設した「あかし子育て支援センター」、屋内大型遊具がそろう「ハレハレ(親子交流スペース)」、中学生・高校生世代の自主的な活動をサポートする「AKASHIユーススペース(中高生世代交流施設)」など、妊娠期から中高生まで幅広い年齢の子育てをサポートしています。
あかし総合窓口は、住民票や所得証明の発行、国民健康保険や国民年金の手続きなど、これまで市役所で行っていた業務を明石駅前のワンフロアで受けられるようになりました。また、平日は夜8時まで受け付けしているほか、土・日・祝日もオープンしており、窓口レイアウトを工夫するなど、利用しやすくなっています。

お問い合わせ

明石市政策局市制施行100周年記念事業推進室

兵庫県明石市中崎1丁目5-1

電話番号:078-918-5280