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更新日:2022年10月20日
本会議でもお伝えしましたが、4年前の一件があり、多くの市民の期待をいただきながらこの間やってまいりましたが、今回お三方に対して暴言を吐いたのは事実でありまして、言い訳をする気もありませんし、そういう意味では責任を取るしかないという思いであります。
責任の取り方につきましては、4年前は辞職という形をとり、結果的にその後出直しという形になりましたが、そういうことを繰り返すのではなくて、良くないという前提で復帰したので、今回は政治家を辞めるということが責任の取り方だと思っております。
市長もあと半年で辞めますし、他の選挙も出ない、今後は政治家泉ではなくて、心ある政治家を作っていく方向でしっかり頑張りたい。政治と関わるつもりは当然ありますので、引き続き政治家としてのプレイヤーではなくて、応援団として今の政治、明石も他も含めてしっかりと応援といいますか、政治を良くしていきたいというのは変わっておりません。ただもうプレイヤーは終わりで、これからは応援団という思いであります。
責任を取るとおっしゃる中で、単に任期満了で市長を退くだけではなく、政治家という市長以外の道も退路を断つという強いご決断だと思うのですが、そこに至った心境はどんなところですか。
恥ずかしいことながら、4年前の件があってアンガーマネジメントも受講もしましたし、本も読んでいますし、枕元にも本を置いていますし、自分なりには何とかという形でやってきたつもりではあります。市長室でも腹立たしいことがあるとトイレに立ち上がるとか、6秒数えるとか、いろいろな形で自分なりにはやってきたつもりではありました。
そういう意味では、自分としてはその後、同様のことがない状況の中でというイメージではおりましたが、今回につきましては、糸が切れたかのような形で完全にキレてしまったので、それは市長としてはあるまじき行為ですので、責任を取るしかないと。その意味するところは、いわゆる明石市の政策は、おかげさまで市民からも他からも評価をいただいておりまして、要は私のキャラクターの問題ですから、私自身がいわゆるプレーヤーとしてそういう立場にいることの問題性ですから、逆にそれを退いて、むしろ心ある政治家をちゃんと作っていくということに今後の人生を賭けたい。
もう少し言うと、明石でやったことを全国に広げていきたいですから、心ある方が市長選で頑張るのであれば応援もしたいですし、国政においても、しっかりと心ある政策が通るように国政にも働きかけていきたいという意味において、そちら側で頑張るという意味です。
政治家引退というご決断というのは、いつのタイミングで、どういう形で固まったんでしょうか。
率直に言うと、当日報道が出てしまった中で、若干何とかしのげないかとは思いましたが、実際のところはそういう状況でもなく事実は事実ですから、言い訳するタイプでもありませんので、事実は事実として受け止めて、あとはいかに責任を取るかでした。
その後は、周りともどうするかということを相談した経緯です。昨日の夜には、私の選挙を10年以上一緒にやってくれた20名ほどの仲間にも電話をして説明をし、3期12年ありがとうというお礼を言って今を迎えている状況です。私としては3期12年自分なりには精一杯させていただいて、多くの市民からも今の明石市については評価をいただいていると思いますから、この明石市を引き続きしっかりと今の路線でやっていくのも大事です。
そういう意味では、私が市長を今期で終わるからといって明石市政に関わらないわけではなくて、ちゃんと今の路線が引き継いでやれるようにするのは多くの市民への責任だと思っていますから、別にこれですべて終わりで関係ないではなくて、市長としては終わりですし、何かの選挙に出ることも考えていません。
そうではなくて、違う形で政治家をいっぱい作っていきたい、心ある政治家をもっと増やしていかないと、明石市長で頑張り続けるのも大事ですけど、明石市だけが良くなればいいわけではないので、全国に1700もある自治体の首長が良くなれば全国良くなりますから、そういった首長の応援などもしていきたいという思いの方に変わりました。
タイミングが早いかもしれませんが、後継として、泉市政の財産を引き継ぐような方を選んだり立てたりするようなことも考えられているんですか。
ちょっとまだ軽々に答えるほど揉んではいないんです。ただ私にとって一番大きいのは、自分がプレイヤーとしてやり続けるのではなくて、育成とか育てるとかそちら側に回る、それこそ野球選手にしてもサッカー選手にしても、一定程度どこかで区切りが来ます。そこで引き続き頑張り続ける方もいるでしょうけど、いわゆる現場の一線を退いて、むしろ若手を育成することにエネルギーを注ぐ方もいるので、私のイメージも今度は自分のわずかながらの国会経験と、そして市長12年間の経験を全国に伝える役割というか、政策アドバイザーというか、応援団というか、参謀役というか、そっち側で力を発揮する方が、おそらく明石市政にとっても良いでしょうし、私の役割としても自分の気持ちに合っているという感じです。
それ以上のことは、ちょっとまだ早いです。気持ちとしてはありますが、軽々に言ってしまって後で撤回するのも嫌なので。今は役割をもう本当にプレイヤーから応援団に回るイメージでしょうか。応援団というか育てる感じですかね。育てるというとおこがましいですが、政治家泉が終わりで、政治家を作る立場として本気でやっていくというあたりです。
でもやはりトップが変われば街は変わりますから、そういう意味では、全国の自治体での選挙の中で、ある意味市民の立場に立つような方がいれば、私に役割があるのであれば、しっかり役割を果たしていき、そういう方からご相談があれば、明石市長としての良いことも悪いことも含めて経験をお伝えするのも一定役割かなとは思っています。
積もり積もったものが爆発したと議会でも言われていましたが、改めてどんなものが続いていて、どのように爆発したのか経緯を伺えますか。
私もまだ現職ですし、あと半年はいますし、言葉も選ぶ立場です。ただ若干経緯をご説明すると、やっぱり大きいのは最初の市長選挙です。そのときにご存知の方もおられると思いますが、私の場合は当時有力というか、ほぼ間違いなく勝つと言われた兵庫県知事の側近の対抗馬として立候補して、基本的にはお相手の方にほぼすべての政党と業界団体がつき、市議会も全員がつく状況の中で、市民だけを頼りに最初の選挙69票差という本当に僅差、当時統一地方選挙の最後の当選確実が私ですから、そういう本当に僅差で市長にならせていただきました。
そういう意味では当時市長になって市役所に来るのが正直しんどい気持ちの中で、市役所の中に入ることそのものが、お前なんかここにいる人間じゃないんだ、出て行けみたいな、あたかも飲み込んだ異物を吐き出す、異物のようなイメージですかね。吐き出されるような勢いの中で市長に就任し、議会もほぼ全滅状態で、結果においてこの12年間何も変わらず、一番最初から議会との緊張関係が続いてきたので、そういう意味では、そういった中で何とか調整をしたり、時に強引な手法を使ったりしながら、この間明石のまちづくりを進めてきた認識です。
それはこの間も色々思うところはありますが、まだ現職の立場で、今議会の悪口を言うわけにはいきませんので控えますが、ただ思うところとしては、積もり積もった思いがプチっと切れてしまったということです。
11年余り続いていたわけで、なぜこのタイミングで爆発したんですか。
タイミングがあったわけでも、自分がしたかったわけでもなくて、当日の一定のやり取りなり状況の中で、自分の中でスイッチが入ってしまったというあたりで、そこから後は本当にお三方に手当たりしだい暴言を吐いたということです。暴言の内容が報道されると、どうしても人は暴言の内容に意味を持たせようとされますが、私の中でいうと腹を立てていて、ええ加減にせえよみたいなイメージで、いつまで嫌がらせするんや、ええ加減にせえよというような感じの感情で入っているので、あまり深い意味があってやっているわけではないです。もちろん意味があったら議長に問責のことは言いませんので、議長は採決に入りませんから。そういう意味ではもう本当に怒りに任せてやってしまったということです。
手あたり次第というところは今報道されているところだけか、もう少し他にもあったんでしょうか。
そんなにないと思います。腹が立ったので、表でにこにこしながら裏でこそこそしている感じに対して、私に対してはにこにこ笑顔でよろしくお願いします、選挙お願いしますみたいな感じですが、実際になされていることに対してはこの積もり積もった中で、ある意味私の中で、ええ加減にせえというか、キレてしまったということです。
今日出たのは問責決議でしたが・・・
報道がそれになってしまっていますが、問責決議はあまり関係ないんです。言葉を選ばないといけませんが、問責決議が決まったところで法的効力はありませんから。不信任であればその後手続きが要りますが、問責決議は別に可決であろうがなかろうがあまり影響は実質ないので、問責決議そのものが気になったわけではないんです。そうではなくて、裏でこそこそすることに対して腹が立ったということです。
今回専決とか再議とかツイッターの内容の問責決議が可決されましたが、可決されたその内容に対してはどう思っていらっしゃいますか。
市長としてはもちろん議会の議決ですから、それは重く受け止める立場であることは当然です。ただいつも反論しているように、言われていること自体が私からすると合理的だとは思いませんので、そういう意味では議会の議決としては受け止めますが、その内容そのものは極めて不合理なものだとは思います。
専決や再議という地方自治法で定められている手法を使うケースは、他ではあまりないかもしれませんが、この手法がまさに取り上げられたような形になると思うんです。この2つに関して、議会が言われている民主主義の冒涜というような指摘についてどう思われますか。
そこは全然そうではないです。当然、法律に則っていません。今日本会議であったように違法でもありませんので選択肢の1つです。ただやはり私から言えば、ここも率直に言うと、3期12年自分なりには精一杯やってきて、それこそ最初からずっと議会、議員に特に応援団がいるわけではない状況での12年間でしたから、正直しんどかったです。
そういう中でも何とか調整しながらやってきましたが、実質的には今日も話のあった昨年のサポート券あたりぐらいから、私から言えば大変議会の対応に対しての不合理さを感じ、あれも事前調整は済んでいたので、ちゃんと調整が終わった後に急遽ひっくり返って継続審議でしたから、私からすると本当に嫌がらせそのもので、議会の嫌がらせに屈して市民が困っているのを見て思ったので対応したわけです。お金のことは私はもう一貫して無駄遣いはなくす派ですから、当然安くできるならしているに決まっていて、当時だって必死に安くしようとしたわけです。
1年後にこの1年かけて、前回の実績を踏まえて今回安くなっているのであって、安くできるんだったら当然しているわけであって、税金を無駄遣いするタイプではないので、そういう意味では、ある意味もう専決処分に至った段階ぐらいで議会との関係性が正直きつかったのはきつかったです。
だからある意味強硬手段に出ざるを得ないほどきつい状況が去年のサポート券ぐらいで、そのあたりが遠因になって工場緑地の問題に飛び火していくわけですから、いわゆる感情的対立が色々な形で政策的にも飛び火していった状況だったので、そこを何とか抑えようとしたわけですが、だんだんそれがエスカレートしていく状況が続いたとは理解します。
立ち返ってみて、暴言をぶつけた飯田市議や榎本議長に対して、改めてどんな気持ちですか。
それは申し訳ないです。そういう意味では言ってはいけないセリフを言っていますから、いきなりですから。私の勝手なある意味積もり積もった怒りを、自民党会派と公明党会派で一連の経緯がありますが、ぶつけたわけですから、それはいきなりぶつけられた方に対しては申し訳なく思います。
いけないのはいけないと思いますが、それはどういう理由でですか。
それは暴言を言ってはいけない立場ですし、暴言そのものはノーですから。
今日は議員からも議決権の侵害という意見もありましたが。
そこも正直私も冷静に考えて喋っているわけではないので、すいません。そこに何か深い意味があって言っているわけではなくて、腹が立ってまさに暴言を吐き続けている状況で、暴言はダメなんですが、暴言がどうしても私の場合は意味を持つ暴言になってしまっているので、どうしても鍵括弧付で報道される状況ですが、私の中ではあまりそこに深い意味はなくて。
暴言の結果何が起こったからダメだったのか、相手にどういう作用を与えたからダメだったのか、そこはどうですか。
いきなり言われたら当然お二人はびっくりしてショックでしょうから、そこは当然の私としては平謝りの立場です。
今回暴言は2度目ということでしょうか。
そこは私としては頑張っている認識ですが、自分から言えば強い態度で臨んでいるというのが、聞く人から見るとそれが暴言ととる人がいないわけではないでしょうから、そこは本当にすみません。聞き手がどのように受け止めるかの論点ですから、言う方の私の認識と言われる側の認識の問題のズレは生じうるので。ただ今回については明らかな暴言を3人に言っていますから、それは当然今回は暴言ですしアウトだと思っています。
暴言を吐いたという気質の部分もおそらく言われるようにあるわけで、その気質というものは押さえられなかったのか、ご自身を客観的にご覧になって、今どのように立ち返って省みていらっしゃいますか。
自分なりには4年前がありましたので、講習を受けたり本を読んだりノートも見返したりしながら、そういうことはやっているんですが、それをやったからといってじゃあできたかというと、まさに今回ですから。率直なところ結局頑張りましたけど、結局またやっちゃいましたという話です。それで今後もしませんと言っても、人も信用しないでしょうし、正直私自身もここでもう絶対しませんと言っても正直自信がないのは正直で、そこはもう政治家は辞めた方がいいという判断につながっています。
ご自身でもコントロールできないですか。
何か自分の立場から言う世の中の理不尽とか、市民のことを考えずに私利私欲や党利党略、面子にこだわっていることに対してすごく怒りが強いので、税金の無駄遣いをしているとか。私からすればもっと市民のために働くべきだという気持ちが強いので、市民の敵みたいに思いかねない面があって、そこの怒りの感情が爆発しがちなタイプなので、何とか抑えてきたんですけどという感じでしょうか。
自分では抑えられないですか。
現に今回抑えられなかったわけですから。
プレーヤーを辞めて政治家を育てるとのことですが、今後政党に属するような形で政治家を育てるのか、個人でコンサルみたいな形でされていくのかお考えはありますか。
政党は正直まずないです。政党だったら作ります、新党を作るのはありです。新党結成もありですが、どこかに属する気はないです。ただ、それよりも自分の関心としては首長を作りたいです。明石市で出来たこと、他の街でも出来ること、そういったことを全国に広げていきたい。明石市長でこの後4期、5期やるよりは、逆にもっと他の街の首長を作って、明石の政策を全国に広げる方が自分の役割としては意味があるという判断です。
新党と言われましたが。
選択肢という意味です、そんな大それたことを今は考えていないので。どこかに属しますかと言われたら私は基本的に支持政党はないタイプですから、どこかの政党に属する気はないという意味です。大それたことを言ったつもりはなくて、それだったら新党作りますぐらいの話ですので、あまり誤解なきように。
ある一定の時期から議会との関係について、悪化とか敵対しているように感じていたという発言がありました。市長の任期が半年後に迫っていることが分かっている中で、議会との対立というのは引退の文字がよぎる要因にはなっていたのか、それとも今回の件があったから急遽引退することを決めたのかいかがでしょうか。
それは若干振り返ると、もちろん私は子供時代から明石の市長になりたかったので、頑張りたいと思ってなりましたが、なった当初、この方を見習いたいと思った市長さん何人かにご相談したときに、ほとんどの市長さんが10年とおっしゃいました。市長は2期8年だと少し足りないけど、3期12年で出来ないことが4期、5期で出来るわけではないということを口々に言っておられたので、当初からある意味10年ぐらいの目安で考えていました。そういう意味では10年目過ぎたあたりぐらいで、3期で終わるかという問題もありましたし、県知事選も声をかけられたとき迷ったのは正直ですから、市長というのは10年ぐらいかなと思いました。
ただ、やはり自分としてもいきなりいなくなって、明石市がどうなるか分からない状況は無責任なので、特に4年前の件があって戻ってきてという中で市長になった者としては、それこそ多くの市民にこの子が大きくなるまで市長でいてくださいと言われるんです。でもこの子が大きくなるまではキリがなくて、あと20年も市長ができるわけではないので、いずれにしても今の明石市政をいかに引き継ぐかという論点は残っていて、いつどういう形かなと思っていました。ただ、逡巡している中で時間が過ぎていった状況です。その意味では今回のことで、ある意味自分の中では3期12年を区切りにするというのはすっきりしている気持ちです。
ある程度そういったスパン、目途が頭の中にあった中で、今回のことがその引き金となって踏ん切りがついたという感じですか。
結果においてです、別にその為にやったわけではないですから。してはいけないことをしていますので、やっちゃったということですから。ただ自分の中では、3期12年という部分は精いっぱいやった思いがあるので、やり残した感はないです。自分としてはベストを尽くしてやってきたと思いますし、この明石市を、私が市長でなくなってもできる明石を作ろうと思っていたし、私が市長ではない街でもできることをしたいと思っていたので、私から言えば今やっていることもかなり遠慮がちにやっているつもりなんです。
だから財政構造上も次年度以降も、基本的には今の予算を組みますので、かなり余裕を持って。なので今やっている明石のそれこそ5つの無料化をはじめとした施策は全部やれますので、私はかなりそれを意識して、私がいなくなった後に破綻するようなことしたくなかったので、ちゃんと私がいなくなった後も明石市政が安定的に続くことをかなり意識していました。
そういう意味では小学校給食の無償化を突っ込まなかったのも私の判断としてはできましたけど、それをしてしまうと後の市長さんの首を絞めるから止めておこうと思って、明石市は中学校だけにして小学校はやらなかったんです。そのあたりぐらいから私がいなくなって、後の市長さんがちゃんとやってもらえるようにしておかないと、逆にそれが理由で全部廃止になると困りますから、やはり財政上ちゃんとできる状況まではやりたいとは正直思っていました。
あともう1つ、やはり全国に広げたい思いがあって、それもあってツイッターを始めたんですが、やはり明石市長でいる限り、当然明石市民のための市長ですからやはり限界があります。これもずっと色んなところで言っていますが、優しい社会を明石からというキーワードでずっと言い続けているわけです、子供時代から。優しい社会を作りたい、それを明石から、明石からというのは2つ意味があって、1つの明石からは、どこもしなくても明石から始めるの意味なんです。そこは正直、この3期12年でかなり国を待つことなく、明石市独自でやれたと思うんです。
ただ、もう1つの明石から広げるの意味があって、明石から広げられたかというと、若干最近、周辺市も含めてこども医療費の18歳まで無料化も進んでいますが、そうはいっても養育費とか色々なテーマはまだこれから、児童相談所も明石はやっていますが色んな対応はまだですから、私としては明石でやれていることをちゃんとお伝え申し上げて全国に広げていく、優しい社会を明石からの、明石から広げるをやりたいという思いです。
今回の暴言の件を受けて市民に話を聞いてみると、もちろん暴言でこういった問題があることは事実である一方で、やることをやってくれるという評価する声も多数聞かれました。そういう意味で前回同様、過去の暴言の件を改めてもう一回やり直すという考えはなかったんでしょうか。
ないです、それは全くないです。皆さんが質問をする立場なのでそう思われるでしょうけど、何があっても出ないです。一番大きいのは、やはり責任の取り方は大事で、あとがない状況の中で今回ですから、前回と同じように声がかかって出るようなことはしないです。
あとはやりたいことがあるので、逆に言うと明石市長としては精一杯やってきました、これからは全国を飛び回って、明石市同様の街をどんどん作っていきたい、おこがましいけど、明石市長一人で頑張るよりは、同様のことをする市長を10人、100人作りたいという思いです。それをするには、あと何年も明石市長をやるよりは、私もまだ五十代なので、今であればまだ一定の時間をかけながら、全国の街を変えていくことは不可能ではないと思っています。
以前明石でしかできないということは、全国になかなか発展しないというもどかしさを感じているとおっしゃっていました。新たな色んな首長、気持ちを共有できるような首長を育てるというか、そういうことを広めていきたいと具体的に思いだしたのはいつ頃だったんでしょうか。
自分の中での1つの節目は実は昨年の12月21日の優生保護法の条例制定で、私も本会議で涙が出てしまいましたが、自分の中ではあれが一応、明石市でやりたかったこと、やるべき役割を自分としては一定果たしたと思った瞬間で、あの辺ぐらいから明石から始めるから、明石から広げるの方にシフトしたいと思ってツイッターを始めたので、あの辺から明石で出来ることは出来ますとツイッターで発信しまくっているのは、まさに自分の中の2つのうちの1つの側です。明石から始めると明石から広げるのを、明石から広げるに舵を切りたかった思いは正直あります。
もう1つは明石から始めるが、正直議会の関係もあって昨年のその辺ぐらいから、その中でもよく通りましたが、もうかなりこれ以上の政策展開は難しい状況は正直でした。優生保護法もすっきり通らずに、結局3回目の正直で、市民がそれこそ障害者団体を中心に請願を上げられて、結果において何とか多数で可決になりましたが、ギリギリの可決でした。
さすがにこれ以上国を待つことなく明石から始める施策がさらに出来るかというとかなりしんどい状況で、むしろ子供施策を止めて公共事業に戻せという圧力がすごく強まっていましたから、子供の施策よりハード整備事業、公共事業で声がどんどん高まっている状況の中で、議会と良好な関係をつくるために予算を戻すわけにいかないという立場だったので、そこは正直もうかなり限界的な部分は本音ではありました。でも何とかもう少し頑張ろうとは思ってはいたので、別にその時点で辞めようと思ったわけではないです。
4年前に暴言問題があって辞任するときの会見で、市民はそういうことを求めているのではないと、確かにタイミングとか色々なことをお考えだと思うんですが、残り半年で色々な声が寄せられると思います。そこをどのように市長は捉えていかれるんでしょうか。
今回も同じキーワード使いますが、暴言に対する責任と市民への責任と2つの責任があって、暴言の責任に関しては政治家を辞めることをもって責任を取りたいということです。市民への責任というのは、すぐ辞めるのではなくて、ちゃんと任期満了までしっかり仕事をしますということと、私がいなくなった後も、信じて子育て施策に魅力を感じて2人目3人目が生まれた方、現に引越した方が数多くいる中で、そういった方々の期待を裏切らないように、しっかりと次の良い方にバトンタッチするお手伝いを当然やっていきますし、当然市議会選挙も関わって、今の市政を応援できる市議会議員を増やすこともしていくことになると思います。
正直、この辞任と政界引退を決めたのはいつですか。おそらく8日のことが引き金にはなっていると思いますが。
8日があって取材が入り始めて4年前と同じ空気も感じていましたし、8日の夜ぐらいでは4年前の再来ですので、4年前と一緒では済まないとも思いましたのでどうするかと思いましたが、やはり暴言の責任はとるつもりでしたが、市民への責任は多数あるので今すぐ辞めるわけにいかないですから、あと半年して身を引こうと。
後は政策的には得意なので、参議院議員だったら私なんか向いているんじゃないかと正直本音では思います。ただ、やはりそういう方向ではなくて、明石から広げるの方が自分の役割だと改めて整理し直して、全国で今現におられる首長さんから声がかかれば情報提供しますし、新たに立候補する方で良い方がいれば応援もするし、とにかく明石止まりではなくて、明石でやれた程度のことで他でもできることを次々、次は具体例を示していきたいとは思っていたので、そういう意味では自分の中で完全に決めたのが10日、一昨日です。一昨日に自分の中では引退を決めました。
4年前の事件を受けてアンガーマネジメントに取り組んでいらっしゃったということですが、具体的にどのような取り組みですか。
先生がついてマンツーマンで受講したり、本が何冊もありノートを書いたりもしましたし、アンガーマネジメントの本とノートはちゃんと枕元にずっと置いているんです。実践として、腹立たしいことがあるととりあえずトイレに行くのが一番やりやすかったから、腹が立ったらトイレに行くというのを完全に習慣づけていて、そこはかなりできるようになりました。あとは家族に対しても若干きつい態度もあったのが改まったので、家族とかに対する一般論としてのアンガーマネジメントはできていると思います。ただ、どうしても政治家と公務員に対する、税金で食べているものがちゃんと働けというのは強い人なので、そこに対する部分がいつも危ないというか、カチンとくることは正直ありました。何とかそれを乗り切ってきたつもりだったんですけど。
この4月に副市長の辞職がありました。そういう点とご自身のそのような傾向の影響や、職員に対する会話を振り返ってみて、ご自身で今どう感じられていますか。
そうですね、そこはまだ半年ありますが、こんな出来の悪い強権的な市長と一緒に仕事をしてもらえた職員には感謝です。自分の中ではさらに厳しい態度を取ってきたのは事実ですから。受け手の側がどのように感じたかについてはまさに受け手側の受け止め方ですから、そこを色々思った職員はいるだろうとは正直思います。
改めて副市長2人が辞められたことについて、影響があった可能性はありますか。
副市長2人が辞めたことの影響はないです。それは直接関係していません。
アンガーマネジメントはいつまで続けていましたか。
続けているという意味ではノートを書いたりする作業なので、別にやっていないわけではないです。そこはそれなりにできている。そういう意味でいうと頑張りましたが、やっちゃいましたというのが正直なところで、もうそれは責任を取るしかないというふうにつながります。そこをあまり言うと、アンガーマネジメントが意味ないとなったらいけませんので。自分の中では意味があったんですが、完全に抑えきれなかったということで今回ですから、言い訳する立場ではないので、ごめんなさいです。
今後、首長を育てるというようなことをおっしゃいましたが、首長になったことがない人は多分想像つかない責任や重圧があり、これまではそういうことがなかった人でも、ひょっとしたらそのストレスで思わぬ行動や言動をされることもあるかもしれません。そういう方針、その政治家を作るとおっしゃった方たちには、市役所のような巨大組織を運営する上で、泉市長のできたことと課題をどのように伝えていくのですか。
そこは正直、相当やりたいことがあるんです。例えば、ある街で市民の支持を多く受けて新しい政治を始めようと思う人が当選した時に陥りがちなことは、役所に入った時に、役所内にはどうしても頼る者がいないので既存の行政マンに頼るんです。すると必ず言われるのが、議会と仲良くしましょうなんです。すると結局、議会の多数派を形成しているところと調整が始まってしまい、ほとんどそれまでと変わらない行政などという話もいっぱい見てきました。
結局はせっかく市民の期待を受けて選挙に当選したのに、市長には権限があるのに、その権限を行使することなく眠らせたまま漫然と時間が過ぎて、市民に推されてなったのにやっている事はそれまでと何も変わらないというのは数多く、本当に嫌というほど見てきたので、本当はできるのにその情報がないからなんです。
私も市長になった時に随分周りから言われたことが事実でなかったことがいっぱいあって、出来ませんと言われたことがいっぱいあります。例えば建物があって、それを違う目的で使おうと思ったら、そんなことしたら補助金の返還を求められるから出来ませんと言われ続けましたが、いっぱい変更しました、補助金の返還なんか求められていません。
また本当はしなくていいのに周りに言われちゃうと、勘違いしてできないと思い込んでしまう。そんなことない、できるよと。ただ私みたいにこんなことにならないように、それはキャラクターの問題なので、そんな激しい市長が多いわけではないので。逆に諦めかけている市長に、権限があるから支えることができるよ、上手に使ったらというアドバイスはできると思うし、その辺実は始めています、何人かの市長には。
そういう意味では、せっかく期待されてなった市長が結局周りに言われるがままだと、それまでと何も変わらない状況になってしまうので。せっかく期待を受けてなったんだから、やってみたらというのはアドバイスを始めています。
明石から広げる、その起点となる明石への市議会議員選挙を含めて関わるということで、首長も同じく関わるということですか。
特に首長を出したいです、明石市の。後継指名をするという意味ではなくて、ちゃんと今の路線でやっていく方、それこそ半年ありますから、市民の皆さんと相談をしながら、党利党略、私利私欲、どっちを向いて仕事するか、市民の方を向いて仕事をする人に市長になってもらいたい。簡単に言えば、今どっちを向いて仕事をするかですから。市民の方を向いての仕事はしんどいんですよ。
市民の方を向いて仕事をすると言うのは簡単だけど、本当にやろうとするとなかなか難しいです。私も12年近くやってきましたが、言うのは簡単ですが、本当にやろうと思ったら予算をシフトするのも容易ではありませんし、どこかを増やすならどこかを減らすわけですし、みんな張り付いていますから。
担当課の職員からすると、自分が所管している部門の予算が減るということは、関係の所から何を言われるかとなってくると必死にそれを止めようとします。通常はそんなハレーションが起こることを副市長以下は普通させないので、結局、予算ができないことになってしまいます。言うのは簡単だけど、市民のために予算をシフトするなんてのは簡単ではないです、正直。
市議会議員の方たちも、それぞれが市民のためにと思ってやっていると思いますが。
そこはそうでしょうね。もちろんそれは否定しませんが、私が思うのはどこかの業界団体、どこかの宗教団体、どこかの労働組合の顔色を伺うのではなくて、普通の庶民の市民の顔色を伺うような政治の方がいいと思っているので、大きな組織というか、選挙に通るためという部分の政治家的な仕組みがあるので、そこの部分が影響しているのはすごく濃厚に感じますから、その辺は大きいと思います。
前回の暴言のときと市長の身の処し方が全く違う、これは何が原因でしょうか。
繰り返しますが、やはりそれは前回があって今回ですから、責任の取り方はもう辞めるしかないと。あとは市長を辞めるだけなのか、政治家全部辞めるのかですが、自分としては中途半端な政治家なんかが出たりするようなことではなくて、スッキリ自分が出ない前提でやった方が役割として、自分としては使命だろうと思ったからです。
前回はもっとやるべきことがあるというようなことをおっしゃっていました。
前回はやり残しでしたからそこは忸怩たる思いで、それこそ無念ですと言ったと思いますが、道半ばの無念でしたので名残惜しさがありましたし、市民から声をかけていただいて、あの時はかなり名残惜しさが強かったですが、今は言葉を選ばないといけませんが、一応やることをやったかなと。
優しい社会を明石からと子供の頃から思っていたわけです。冷たい明石を優しくしたいと思って、子供に優しいまちにしたい、障害がある者に対しても寄り添うまちにしたいと思ってやってきて、一定程度、もちろん完璧には無理ですから、この12年近く精一杯やってきて明石のまちを一定程度優しいまちにすることができたと、自分ではある意味やり遂げた感は正直あります。
あとは明石止まりではなくて、これを全国に広げる伝道者というのか、広げる役割を果たすのには自分は一定程度この経験が生きてくるし、そういうことをするときに暴言を吐く状況ではありませんから暴言を吐かずに済みますし、いちいち自分の暴言で皆さんに集まっていただくことを繰り返したいわけでもないですし、これ以上市民を失望させたくもないので、ちゃんと明石市政のこれからは責任を持ちたいと思いますから、投げ出すことはせずにちゃんと次のいい市長さんにつなぐことの責任を果たしたい。あとはそれを広げることに全力を尽くしたい。場合によっては来年の統一地方選挙が全国でありますから、色々な形で関わって、何かできる役割があれば果たしたいとも思います。
これからは人材育成をするということですが、これからの若い人たちを育てる中で暴言を吐かないということは言えるのか、その辺を伺えますか。
やはりポイントとしては国に従ってやろうという職員とか調整タイプに対して、いやそうでなくてもっと市民の税金安くなるだろ、無駄遣いをなくすことができるだろう、国が間違っているんだから国を気にせずにやるべきだというあたりのシチュエーションではやはりかなり激しくなっちゃうわけです。
そうすると、権限のある市長なんだから、市長の指示に従えという状況の中できつく当たるのがほとんどですから、その状況だと思うんです。それこそ改革せずにゆっくり市長をするんだったら暴言なんかになりません。結局ほとんどの場合も職員だって悪気があるわけではなくて、これまでやってきたことなんだから、これまでやってきたことをやっているのにどうして市長に違うことを指示されるのかという思いがあると思うんです。
一番典型であるのは国です。国の通達が古く時代に合ってなかったりするんです。どうしても国のマニュアル、県のマニュアルに従おうとするんだけど、時代も変わっているし非合理であったら、それを変えていけばいいわけです。ですけど、そういう場面でどうしても軋轢が強くなって、それこそ今なんか全部広がった養育費の参考書式だって、最初どこもやってないことを明石で絶対したくないと相当強い抵抗があって大変でした。それ一つとっても、パンフレットを渡すだけでも、国の指示がないのにという状況ですので。職員に別に悪気はなくて、これまでやってきたことを変えるということに対する強い抵抗感があります。
あと、例えば市営住宅の滞納なんかも、私が市長になった時などは、滞納しても30万円貯まるまでは声をかけないルールだったんです。そんなことをしたらもう払えなくなってしまって、かえって路頭に迷うから滞納が始まったら声をかけてあげた方が市民のためだと言っても、何十年やってきましたという形で変わらなかったんです。
やっと数年かけて変わりましたが、長年の慣習、前例主義を変えるというのは、お上意識、前例主義、横並び主義、この染み付いた行政運営を変えていくというのはそう簡単ではなく、もっと上手な方法で信頼関係とか調整をして、上品になさる方であれば良かったんですが、正直、私の場合にはかなり強引なところがあるので、繰り返しになりますが、時に強権的な対応をとったのは事実ですから、かなりきつい態度で方針転換を次々やってきたのは正直です。
これからはもうそんな状況にはならないですか。
そういう状況にならないです。別に市長はやらないし、知事選は出ないって言ってるんですから。県知事になったって、県の職員がそんな簡単に変わるわけないですよ、はっきり言いますけど。明石市の小さなコンパクトなまちで今12年目ですけど、感覚でいうと5~6年かけて形になってきたぐらいですから、この小さな明石でもやっと5~6年かけて文化が変わってきたぐらいですから、県なんかで変えるなんて優しい顔して言って、理解して合理的に動くほど簡単であれば苦労しません。もっと違う能力のある方で、魅力的で人望があって一緒にやろうという形ができれば理想だとは思います。正直私の場合には、せっかちであることも含めてスピード感を持って改革を急いだので、時にきつい態度をとったのは正直です。
やさしいまちを作るということで、ジェンダーに対する平等を掲げられているコンセプトと、女性に対して許さんぞというような発言をしたということにかなり乖離があるような感じがしますが、その2つの整合性を持たれているのでしょうか。
そこは男女関係なくて、はっきり言うと自民党と公明党に対する怒りが爆発したということです。別にそれが女性であることに意味はないです。女性であろうが、男性であろうが、同じ対応だから議長にも言っているわけですから。1人に言ったわけではなくて、男性、女性、男性の順番で3人にあたったわけですから、そういうことです。だから矛盾というか、特に女性であることに今回は関係ないと思います。
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