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時の記録
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私たちは
、大昔から太陽の動きとともに生活をしてきました。
お陽さまが昇れば朝、真上にあればお昼、沈みかければ夕方、沈んだら夜という1日の流れは今も昔も変わりません。
1日というのも、お陽さまが地球を1周する動きが基本の単位です。
時間も時計も、そうした太陽の動きをもとに生まれました。日時計の発明がそうです。
しかし、時が発見されて以来長い間、私たちは各国、各地方によって異なった時間を使用していました。
これは、地球の表と裏では昼夜が逆転するように、それぞれの土地での太陽の動きをもとに、時間を設定していたためです。
では、私たちの 生活に決まった時間が取り入れられたのは、いつからでしょうか。19世紀末、欧米諸国の間で、時間に国際的な統一性をもたせる気運が高まりました。 それは、当時の産業革命による急速な近代化にともない、発達し始めた交通網や通信システムに不都合が生じてきたためです。 そこで、1884(明治17)年にアメリカのワシントンで「本初子午線並計時法万国公会」が開催され、世界中の経度と時刻の基準となる子午線(本初子午線)に、イギリス・ロンドンのグリニッジ天文台を通る子午線が選ばれました。 現在、世界で 運用されている時刻の国際的な基準は、この会議で決められたものです。この会議により、本初子午線を0°とし、経度を15°隔てるごとに、1時間刻みの時差が設定されました。 地球は球体ですので、360度を1日24時間で割ると、15度で1時間の時差ということになるわけですね。 360°(地球の回り)÷24(地球のおよその自転時間、つまり1日)=15° また、その15°ずつの子午線の中で、その国を通るうちの1つを、その国の標準時子午線とすることなどが決められました。 子午線(経度)が何本も通るような東西に広い国でも、基準となる標準時子午線は1つだけです。 (ただ、国内を通るどこの経度を基準にするか、また、その国の中で時差を使うかどうかは各国の国内の問題であり、他国が干渉することはできません。) 日本でも 、この決議にもとづき、1886(明治19)年7月12日に、明石市を通る東経135度の子午線を、日本の標準時子午線と決定しました。 そして、1888(明治21)年1月1日午前0時より、標準時が使用され始めました。 これにより、明石の地方時間が日本の標準時間となりました。 現在、私たちが何気なく使っている時間は、この時が基準となっています。 この時から、明石市の街は「時のまち」としての歴史を刻んでいます。 |
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