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更新日:2023年10月13日

明石の遺跡

16. 報恩寺跡 

 

所在地

明石市大久保町西脇
時代 室町時代
 概要  

同町にある西光寺の寺伝によると、西脇の北の丘陵に七堂伽藍の江南山報恩寺という寺があったとされています。

平成4年度の発掘調査で、東西5間(12m)、南北4間(9m)の礎石をもつ本堂跡が見つかりました。

基壇上には焼け落ちた状態で、瓦が厚く堆積していました。

出土した銘文瓦から、この寺が報恩寺であり、明徳4年(1393)年に建立されたことが分かりました。

また、後に法隆寺や東大寺の改修工事に携わった瓦師の橘吉重がこの寺の瓦製作に関わっていたことも、銘文より明らかとなりました。

寺の南側からは、梵鐘鋳造の遺構も発見されています。遺構の底には定盤と呼ばれる外型と内型を設置するための粘土の台が残っていました。

この寺は天正7(1579)年、羽柴秀吉の三木城攻めの折に焼き討ちにあったことが記録から知ることができます。

今後周辺の調査が進めば、典型的な中世寺院の伽藍配置などを復元できると考えています。

参考文献

「”93年特別企画発掘された明石の歴史展-最近の発掘調査の成果から-」(明石市立文化博物館1993)

 

 

報恩寺跡調査風景

調査風景

 

報恩寺跡銘文瓦

銘文瓦

お問い合わせ

明石市市民生活局歴史文化財担当

兵庫県明石市上ノ丸2丁目13-1(明石市立文化博物館1階)

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